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訃報というものはどんな人のものであれ切ない気持ちになる。
それが人となりを知る人、或いは業績を知る人となれば尚のことだと思う。
最近では“春日部の幼稚園児しんちゃん”という秀抜なキャラを生み出した方の突然の報に驚かされた。
雑誌派にしては珍しく、数冊の単行本を所持しているオットも「ショックだ」と呟いていた。

さて、大人向けの雑誌で連載していたこの作品が子供たちにも大受けして全国区になったのはTVアニメの功績といって差し支えないだろう。
更に翌年からは劇場版(映画)も製作されるようになった(年に一作)。
この映画が実はクセモノ。

私がまだ会社勤めをしていた頃、ストレスに満ちた仕事に嫌気が差した同僚が叫んだ。
「笑える映画が観たい! 馬鹿馬鹿しければ馬鹿馬鹿しいほど いい!」
それに賛同したもう一人とチョイスしたのが “しんちゃん”映画だったのだが、聞いて驚いた。
二人ともかなーり年上のオタ臭ふんぷんたる私と仲良くしてくれる気のいい後輩だが、妙齢の女性(二十代前半)で“銀座OL”という括りに負けない容姿・ファッションなんですよ?
そんなお嬢さんたちが、元気なお子たちと少々げんなりしながら引率している保護者に混じって観るの?しんちゃんを? 本当~?
「いいんですよ、くだらないくらい馬鹿馬鹿しい面白さのものが観たいんですから」
へえー、TVでちょいと摘まみ食いならともかく、劇場まで行くかね。 まあ、憂さ晴らしならそれもアリか。
ところが後日。
「しんちゃん面白かったですよ! いや、ま、基本は馬鹿馬鹿しくて笑っちゃうんだけど、それだけじゃないって言うか。 ギャグとか本当くだらないんですけど(笑)」
「いやあ、目論み通りくだらなさにゲラゲラ笑ってたんですけどね、侮れない。 うん、侮れませんよー」
そして彼女たちは翌年から新作が公開されると観に行くようになった……。
私も誘われましたが観に行かなかったのは世のお母さんたち同様、しんちゃんに困惑しているところがあったからです。
お母さんは、まだいいですよ、幼いお子さんでしょ? 憎たらしいクチを利いても可愛い我が子じゃないですか。 しかし中年のオヤジが しんちゃんごっこする妻の心境たるや……! くぅっ…(涙目)
「そんなに怒るなよ、くろニコォー。 化粧にヒビが入るぞう」
「くろニコの尻はデカイ尻~♪ あ、ふりふり~」
ファイヤー!! (あ、言っときますが さすがに“ぞうさん”は やりませんでした。 半端モノめ)

それから幾年月。
或る日、どうした気まぐれか、オットがTV放送される “しんちゃん映画”を観たいと言い出しました。 これもお付き合いと一緒に観始めたのですが、これが面白かった!
冒頭に或るものがドーンと映り、これに「エッ!?」と思わされて引き込まれてしまったのです。
それが、現在公開されている映画『BALLAD』の原作となった『嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦』…ではなく、その前年の作品『嵐を呼ぶ モーレツ!大人帝国の逆襲』でした。
ハッキリ言いましょう。
その後、数本観ましたが、大人が観て面白いのは『戦国大合戦』ではなく、『大人帝国の逆襲』です!
『戦国大合戦』は悲恋の部分と史実に基づいた“カッコ悪い戦闘”が子供向けとしては画期的ですが、アニメにしなくても良かったのでは?というのが私たちの所感です。
実写でもいいような話をわざわざアニメに、“しんちゃん”にする必要があったのかと思ってしまうのです。
その点、『大人帝国の逆襲』はアニメでなくてはならないのであり“しんちゃん”である必要がありました
アニメでなくてはならない、とは何もマニア向け・一部の数寄者相手の表現を駆使しているということではありません。 子供も楽しめ、一緒に観る非オタの大人も楽しめます。 いえ、むしろ大人の方が より楽しめるかも。
そして、かつて同僚たちが言っていた「侮れない」部分が一番発揮されている作品だと思います。
また、“しんちゃん”ですからミヤザキハヤオ的な世界とは大きな隔たりがあります。
先ずは騙されたと思ってビデオ・DVDを借りて観て欲しい(カットされてちゃ駄目)。
普段はアニメなんて観ないという方こそ観て欲しい。 いえ、観るべし!
人の子で、尚且つ人の子の親である方も、観るべし!観るべし!
そして、大阪万博やその時代が薄っすらとでも記憶にある方は絶対に
観るべし!観るべし!観るべし!
小さなお子さんと或る年代の大人向けに作られた奇跡のような一本です(ホメ過ぎたか~)。


原作者はどんな気持ちでこの作品を観たのでしょうか。 合掌


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BL関連話  2009.09.28

私の中には「話にはオチを付けなくてはいけない」という強迫観念めいたものがある。
受けなくては生存価値が無いような気がしてしまうのだ(断じて「攻×受」の受じゃないですよ!)。
もちろんそんな分不相応な願いは自分の首を絞めてしまい、筆は進まず勢い更新は間遠なものに。
これがリアルだと、言葉数で誤魔化したれ!と意味不明なことを速射砲の如く喋り散らかすわけで、迷惑千万なことこの上ない。 どちらにしても駄目人間ですな。

しかしですね、だからといって、ノロったりタタられたりするほど悪いコでしょうか?
何で選りにも選って連休中に指が腫れあがったり歯やアゴが痛くなったりせにゃならん!?(涙)
痛みに耐えかねて鎮痛剤を連続使用してましたが、これは私としては物凄く珍しいことなんです。
そうまでしても痛みが完全に抑えられたわけじゃないのがまた腹立たしい。 おにょれ~
明けて医者にも行きましたが、捗々しからず。 イヤになります。
痛いと、元々緩慢なお脳の活動が益々ゆる~く散漫なものとなり、有って無きが如し考えもまとまりません。 ええ、言い訳は考えつくんですがね(だから駄目なヒトだと言うのです)。

尚、外出も儘ならず、連休中にぼんやり考えていたのは私がこっそり作家さんに付けている<二つ名>についてです。
渾名みたいなものですが、自分だけが時々使うので ヒネリも無ければ身も蓋もありません。 とてもご本人やファンの方には言えない!
最近やった毒舌診断は正に見透かしているような内容でドッキリしました。
もっとも自分としては毒づいているつもりはさらさら無く、「正直に言ってるだけ」という意識なんですが、大人ならそのままアウトプットせずにオブラートに包めよ、ってことなんでしょうね。
それが面倒くさくて煩わしいと思うから世間がどんどん狭くなるのは分かっちゃいるんですが。

もう一つ取りとめもなく考えていたのは、作品としてとてもよく出来ていて面白いと思うし周囲の評判も良いのに、“好きになれない”作品があるのは何故なんだろう?ってこと。
それこそ、“萌え”に関係しているのかなって考えも浮かんだけど、好きになれない“何か”っていうのは逆のベクトルだよね?
つまり生理的な嫌悪感とか拒否感てことかと思うんだけど、それを言っちゃ「ハイ、討議終了~」と考えること自体を打ち切るみたいで嫌だ。
悩みたくはないけど考えることをしなくなったら駄目人間は人間ですらなくなっちゃう(ゴミ?)。
発信するかどうかはさて置き、“何か”の正体については考えて探っていきたいと思います。

ま、そんなこんなを痛みを抱えながらグルグル考えていたのでした。
皆さんは楽しい休みを過ごされました?


日常雑記  2009.09.18

【毒舌度診断】の結果が微妙に黒くて、HN通りだわと喜んでいいのか人として哀しむべきなのか、よく分からない管理人です、ども(なので載せない/笑)。
この手のお遊びは結果が、多少胡散臭くても「なるほど!」と納得させられるところがあるか、笑えるかが勝負だと思います。 その点、毒舌度診断は「うむ…」と頷かされて面白かったので、調子に乗って ゆちゅらぶ♪さんのところで見掛けた【戦国プロフ】【兜メーカー】もやってみました。

 <戦国武将黒ニコのプロフ>

[ニックネーム]  天然王

[お城]  味泉城

[石高]  144万石

[座右の銘]  即決即断

[得意武器]  鎖がま

[主な戦績]  忍ヶ原の戦い(勝利)、愛別城の乱(勝利)、鹿館ヶ原の戦い(敗北)

[ホトトギス]  鳴かぬなら 勝負じゃ勝負じゃ ホトトギス

[愛馬の名前]  ラブリー号

[辞世の句]  栄光の 戦色した 我が人生

[最後の死に様]  しゃっくりを止めて貰うために驚かしてもらった拍子に・・・

kabuto

ええと、ツッコミどころは色々あるんですが、先ず気になるのは辞世の句が途中までってこと。 何故?
下の句を詠む間が無かったってことですか? 死因が死因だから?(間抜けすぎる)
他にも、スットコドッコイさを表しているニックネーム、食い意地張ってるのが丸分かりの城の名前、オラオラ系のホトトギス……。 毒舌度診断同様、微妙に現実と繋がっていることがナンとも。
締めに、兜の前立てが「」って!!
確かに毒舌度でもフルマークだったけど、そんなに私「S」ですか?(…)

上記の結果にウケて、お調子乗りの本領発揮!と更に色々やってみました。
HNの所為なのか、どれもこれも おかしな結果ばかりで嬉しいやら凹むやら。
でもね、一番ショックだったのは「誰がやっても“普通に良い言葉”が出てくるんで つまんない」と評判(?)だった【座右の銘メーカー】です。 私はどんなもんだろと軽い気持ちでやったら……!
本名は「くだらねー(笑)」くらいで済んだんですが、HNは酷すぎます!!(涙)


ヲタ話よもやま  2009.09.15

「これは最早 マンガではない」
「マンガを越えたマンガ」
「ただのマンガと思うな」 ………エトセトラ、エトセトラ。

もう、こういう言説には いい加減うんざりです。
マンガはマンガ!ただのマンガなんだよ!
言ってる当事者は褒めてるつもりなのかもしれないけど、マンガというジャンルを貶めた言い方は結局その褒めているつもりの作品をも貶めることになると思う。
素晴らしい小説もあればくだらない小説もあるように、素晴らしいマンガもあればくだらないマンガもある。
でも、素晴らしいマンガも くだらないマンガも「マンガ」――全て“ただのマンガ”なのだ。
感動した、感銘を受けた作品が、ただのマンガであって何がいけない? 何がイヤなのだろう?
ただの、でも、素晴らしいマンガ作品だった、それでいいじゃないか。
プロだったらマンガ読みも納得できるフレーズを書いてください。

今まで散々言われてきたのに、未だにこうした表現がなされるのは、やはり厳然としたヒエラルキーが存在するってことなんでしょうね。
金儲けのタネになる時だけ持ち上げんなー!とマンガ読みは思うのでした。


日常雑記  2009.09.13

  おことの教室

これを「おとこの教室」と読み間違えたことのない人っているのでしょうか?
それとも、読み間違える人間の方が少数派なの?
では、たま~にしか通らない道にこの看板が出ていて、通る度に読み間違えてギョッとなっていた私のようなケースは物凄いレアケースってこと!?(汗…)

もう5~6年前から使い始め、この3年は毎週通っている道路の傍らに、いわゆる “らぶvホテル” が建っています(こっちの道路側に入口は無い)。
この道路は渋滞情報でもお馴染の幹線道路で、ファミレスや自動車販売店など郊外型ショップが建ち並んでいますが、クルマから見える場所に堂々と建っている らぶvホテルはここ一軒だけ。
なので、特に必要も感じなかったし興味も無かったけど「ああ、あるな」程度の認識はありました。
ところが先々月ふと目をやると
日常雑記  2009.09.11

買っちゃった! きゃ☆
yarasero  何がってコレですよ。
  すごいねー! 「やらせろ。」ですよ?
  “清々しいほどの肌色率”(@4daさん)イラストの表紙に、清々しいまで
  の直截な帯コピー。
  ここまですれば、本当アッパレ!!(←そ、そうか?)

  でも、そう感歎するのは私がBL読みだからであって、一般の非BL読み
  の人から見たらどうなんだろう?
  おそらく、子供の目には触れて欲しくないと思うんじゃないか。
  しかーし!子供というのはそういうモノを目敏く見つけ出すものなのだ、自分の経験則からいっても(汗)。 なので悪書狩りみたいなことは やって欲しくないなあ。
大人に対しては「深刻に考え込むほどの悪影響は与えないですよ」と、子供に対しては「まだ早いよ!」と「こういう世界もあるんだよ」の二つの言葉を送っときます、腐ったオトナとしては。

ところでワタクシやりました。
「リアル書店で買うのは無理だろう!」と叫んでいましたが、しっかりリアル書店、それも都会の一般的な(オタク御用達ではない)書店で購入いたしました。
蛮勇を奮うってこーゆーこと?
努めて平静に、“本屋で本買うのは当然でしょ”然とした態度でレジのお姉さんに本を差し出しました。 レジのお姉さんも“はい、お客さま、トーゼンです”然と本を受け取り、会計をしてくれました。
なぁーんだ、大丈夫じゃない!
たとえ後で「いたわよ、あの本買うお客!」とバックヤードで話題になっていたとしても、その場を乗り切れりゃいいんです。
ビバ!努めて平静に会計してくれたお姉さん!! ビバ!トライした自分!!
お姉さんには「貴方はプロだ」と、自分には「オレって勇者じゃん」との言葉を送っときます(バカ…)。

さて、昨日は他に、草間さかえ『さよならキャラバン』(作者初の非BL本)、いつき朔夜『初心者マークの恋だから』、砂原糖子『スリープ』を購入。
増えた本はたった4冊だったのに、「お、重い!考えていたより荷物が重いよう……!(涙)」と勇者にあるまじき泣き言を呟きながら帰宅しました。
何故かってえと、これら(↓)も購入してきたからです(写っているものだけで2.7㎏)。

kiyoshiro&beatles  BL読みには どーでもいいシロモノで すみません。
  熱狂的な大ファンとか物凄いマニアではないけれど、この人たち
  の音楽は若き日に聞いて、もはや血肉となっているのです。
  自分では一枚も持っていないことを悔やんでいたので、今更です
  が良い機会とばかりに大人買いしてみました。
  Kiyoshiroの再構成アルバムの出だしファンファーレ~MCの
  「最後までごゆっくりお見送りくださいっ」に泣きそうになったこと
  はヒミツだぜ……。


BL関連話  2009.09.09

先日、誤ってコーヒー(しかもミルク入り)をぶっかけ、“ぬかるませてしまった”『春の泥』。
こりゃあ腐る(文字通りの意味での!)前に読まないと駄目だわと、一読した。

この本、実は購入リスト作成の段階でタイトルえっらい気に入り、内容も確認せずに買ってしまったのだ、“水原とほる作品”だというのに!(私は水原さんの暴力描写がコワイのである)
なので帰宅後、本の荷解きをしていて ようやく「近親モノ」であることに気が付いた。
近親モノは嫌いじゃないが、“今の気分”ではない。 では積読か、と考えた正にその時、事故は起きたわけです。 で、冒頭の如くしぶしぶ読むことに。

あー、やっぱり気乗りせずに本を読んでは駄目ですな。
近親モノであるのに加えて、私が勝手にタイトルから想像していた作品世界とは違うものだったのが尾を引いてか、モヤモヤした感じが残って感想の言葉が出て来なーい(いや、そのモヤモヤが感想だという言もありましょうが)。
そうは言っても(私のイメージとは違いますが)、『春の泥』というタイトル通りの作品ではあるんですよ。 端的に作品を表現しているという点では間違いなく良いタイトルだと思いました。

そんなこともあって気が付いたのですが、考えてみたら昔から私は“名前”に弱かった!(権威としての名前ではなく) それは作品のタイトル然り、人の名前然り。
当然、往々にしてヤリ過ぎだったり(笑)、型通りだったりのネーミングが見受けられるBLでは、気に入ったタイトルを見つけるとそれだけで引き寄せられてしまう。 “タイトル買い”とでも言いましょうか。
たとえば 『蜉蝣の庭』(五百香ノエル)。
この本に出合わなければ、いつまでもお名前のファンシーさに尻込みして、五百香さんの本に手を出さなかったかもしれない。 情報収集なんて考えもしなかった頃ですから。
木原音瀬さんも、一般的な名字に少々ひねった名前という組み合わせのPNと、『眠る兎』というタイトルで読む気になったんじゃなかったかな。 雑誌掲載のこの作品がマイファースト木原作品でした。
読みが気になったので「音瀬=なりせ」はチェックしたのですが、まさか名字まで変わった読み方をするとは考えなかったので、「木原=このはら」には気付きませんでした(やっぱり木原さんて…)。
ちなみに滅多に買わない雑誌を購入する気になったのは江上冴子さんの『そのもとに花は散る』が掲載されていたからだったと思います。
タイトル買いの弊害(?)も、あります。
かわい有美子さんの『いのせんと・わーるど』(当時は“ゆみこ”名義)や、剛しいらさんの『座布団』はタイトルで敬遠してしまい、出戻ってから物凄く後悔しました。

もうお気付きだと思いますが、私はどうも“文学ちっく”なタイトルに弱いんですね(汗)。
やっぱり耽美のシッポの名残か、JUNEという名の尾てい骨が長いのか。 私自身は特にお耽美に執着しているわけでも宿命やら悲劇やらが好き!なわけでもないのですが。
強いて言えば、しっかり作り込んでいる作品が読みたいという気持ちが強いので、ついつい文学っぽいタイトルに目が行くのかもしれません。
それから、シリアスに固執しているつもりもないんです。 お話自体がシリアスでもコメディでも面白ければ一向に構わない。 ただ、コメディってタイトルからだけでは判りにくい。 だからなのか、コメディのタイトル買いって無い気がします。
もっとも最近は、純粋に“タイトルのみで買う”という行為も、ネットの発達で容易に情報が入手出来るようになって、無くなってしまいました。 『春の泥』も水原作品であるということが微妙に影響してたと思います。 ちょっと寂しいですね。


BL関連話  2009.09.07

私は本が好きです。
書店で平台に積まれた新刊を見るときなど、何とも言えない高揚感を感じます。
真新しい表紙にわくわくドキドキし、魅力的なデザインにうっとりするのです。
BL本も同様ですが、時に腰が引けちゃうことも。 それは主に威力あるイラストのせいであります(涙)。
一体いつからこんなに“あからさま”に なっちゃったんでしょ。 自分がというより、他人の眼が気になってドキドキしちゃうわー!(へたれ)

そうは言っても、段々慣れてきてしまったというか、年々面の皮が厚くなったというか。
( これはリアル書店では買えないわ )などと考えた この本 ↓ も

主治医の采配 (キャラ文庫)
主治医の采配 (キャラ文庫)
(2009/07/23)
水無月さらら


他の本と重ねてあっさりレジに出せてしまった。
もはや面の皮云々ではなくて、感覚自体がマヒしてしまったのかもしれない。
こうなったら もう 何でもドーンと来いよ!わははは…とうそぶいてみたりもしたが、同時に、もしかして私は人として大切な何かを失ってしまったのだろうか(遠い目)、と不安に襲われたのだった。

―――と、これは先々月のこと。
ひと晩寝ればケロリンパと忘れる頭のおかげで、“肌色表紙”の問題は意識の外に追いやられていた。 ましてひと月も経てばキレイに初期化されますがな。
しかし、それもこの画像(↓)を見るまでのことだった……。


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